宮本大路自らが綴る「Dairo's World」



■ 2009/06/22 (Mon)  減らず口

夫婦の会話。
「ねえ。このチョコ不味い方のチョコだっけ?」
バレンタインにもらったチョコ達の残りの一つをオレに示して妻は訊く。
「ああ。そうそう。それはあんまり旨くない。」
「じゃあ、もう捨てちゃおうかあ?」
「いや、もったいないよ。料理とかに使えば?」
「あ。そうか。カレーとかに入れようかなあ。」
「角煮とかでもいいんじゃないの?」
「あんたもあたしと同じでモノを捨てれないねえ。」
「そうだよ。カミさん捨てれなかったもんなあ。」
(ヒヒヒ。やった☆久々のヒット!)
一瞬ひるんで苦虫噛み潰した顔で妻は即反撃に出た。
「フン。さんざん捨てられてきた人はそりゃ捨てられないわよね!!」
(ムッカー!!!)
■ 2009/06/18 (Thu)  EMバンド音楽鑑賞会in松本

先週から今週にかけて松本、塩尻、大町で高校生を対象にした音楽鑑賞会の仕事に行って来た。エリック宮城EMバンドによる一時間半のコンサートを毎日2回ずつ勤めてきたが、反応は上々で大成功だったのではないか、と思う。なかには問題校もあるから、という噂を耳にしたが杞憂だった。自分の懐を痛めてでも元を取るぞ、という意気込みの通常のオーディエンスとは違って音楽鑑賞会は半強制的なものにも関わらず、熱いコミュニケーションが毎日生み出されたと思う。これもひとえにエリック氏の音楽教育や文化を伝える情熱の賜物だと思う。曲間のMCも絶妙で、少年時代のハワイでサメに襲われかかった時イルカに助けられた話とか学生時代の不登校経験等のエピソードが実に真実味を持って巧みに語られた。演目の構成や曲順のスピード感も参加したメンバー自身が言うのもなんだが大変素晴らしかったと思う。そして佐野聡コーナーが強烈に華を添えていた。そして毎日演奏しているとこの超一流のメンバーとの親睦が深まっていくのも実に楽しい。これからEMバンドがますます楽しみだ。
■ 2009/06/13 (Sat)  阿川泰子コンサート

先週から今週にかけて主に松本市でのエリック宮城EMバンドによる学校文化事業が続くが今日は一時東京に戻り阿川泰子さんのコンサート@狛江エコロマ・ホールに出演してきた。レギュラーのサックスは村岡健さんで、この人はオレの高校時代のジャズサックスの師匠。トラ=いわゆる代理を勤めてきたわけであるが、師匠直々の指名だろうし、阿川さんは応対を誤るととんでもないことになる(笑)、という噂がもっぱらだったので、仕事を引き受けた何ヶ月も前からプレッシャーがかかっていた。師匠の迷惑になったら申し訳ないし、大抵のメジャーな歌手は女王様なので戦々恐々の日々だった。準備だけは決して怠らなかったが、フタを開けてみると、オレの平身低頭より阿川さんはさらに腰が低かった。ステージではトラというよりもゲスト扱いだった。
*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*
ここで小5のチビに風呂に誘われたので、絶対断れない!ジャブン。
「どーだ!オレのチンポコ攻撃!」…わかったわかった。
しかしな、大事にするんだぞ、そのチンポコ。トラブルのもとなんだからな!チンポコというものは。わかったか!?「うん。わかったよ。とーさん。」
*〜〜〜***閑話休題***〜〜〜*
ステージ無事終了し、皆さんに挨拶し楽屋に戻りマネージャーさんに「自分を紹介してくれたのは村岡さんですよね?くれぐれも…」「いえいえ、村岡さんの代わりを考えた時、譜面が強くて持ち替えがきいて、その上ソロが上手い、という人を消去法で考えていたら、阿川が、大路さんがいいんじゃな〜い?」と提案したのですよ。」「ええ!?そーなんですかあ?それは光栄だなあ。嬉しいなあ。」一発で阿川さんのファンになってしまった。(別にもともと嫌いじゃなかったけれど)
ここのところステージで嬉しいことが続く。
つい去年まではステージに上がるまでは心細いし、ハネた後は自己嫌悪というパターンだったが、最近は楽しい。勿論緊張状態でステージに臨むし、大なり小なりのミスを反省もするのだが、もう一人の自分が横にいて、<結構お前ヤルじゃん。大丈夫だよ>と言ってくれる。ミスに青ざめていると、<他のことでカヴァーしてるよ。大丈夫だよ。よくやったよ>という声を最近は素直に聞けるようになってきた。
何故そんなに悩んでいるのか、というのを説明しても誰にも解らないと思うし、相談に乗ってもらってもどうにもならないと思う。なにはともあれ悩める子羊だか一角獣を肩にこれからも乗せたまま、どうにかなるでよ☆と楽観的に生きることにした。
■ 2009/06/07 (Sun)  マリーンsings熱帯JAZZ

マリーンの新譜「マリーンsings熱帯JAZZ」のブルーノートでの記念ライブ3デイズが無事終了。活気のある三日間だった。我が20代の7年間、マリーンの絶頂期をサポートした。マリーンはオレの青春そのもの。そしてステージパフォーマンスの基本が染み付いた。マリーンは当時からステージを1に本当に思いっきり楽しんでいた。2に踊りまくっていた。3に常に真剣全力勝負だった。楽しい思い出しか残っていない。その頃に松岡直也さんのところにいたカルロスさんとも知り合った。今日の東京は30℃を超える真夏日。あの頃毎年こうして夏を迎えると毎日のように何千人何万人の聴衆の前でパフォーマンスをしたものだ。熱帯のセプテンバーの時オレは立ち上がって両腕を上げて左右に振るが、それはあの頃マリーンの大ヒット曲It's Magicの時にやりだしたことだ。おまけに若かったので演奏中ずうっと(暇さえあれば)ジャンプしていたのだ。(今はバリトンをぶら下げていることが多いので首の負担を考えて注意しているが)☆年齢を重ねてさらに輝きを増すマリーン。オレも輝くぞ!
■ 2009/05/31 (Sun)  大願成就

終演後、穐吉敏子さんの楽屋に飛び込んだ。35年前の敏子さんとの手紙を握り締めて。
高校生だったあの頃、秋吉敏子=ルータバキン・ビッグバンドのあの一世を風靡した「孤軍」がリリースされ、レコードの感想と自分の進路相談をしたためた手紙を臆面もなく当時西海岸に住んでいた敏子さんの許に送ってみた。生意気盛りとはいえ、失礼にも「日本的なジャズ曲を作るのに和楽器を使用するのは安易ではないでしょうか?」等ととんでもないことを書いておいて、その一方で甘ったれた進路相談。いくらなんでも返事は来るまい、と反省しつつ+たかを括っていたら意外にもびっしりと返事が来た。自分の頭に湧いてきた音は誰がなんと言おうと表現したい、いろいろな楽器をやっているようだがどれか一本に絞らないとモノにならないでしょう、とか一つ一つの質問に丁寧に答えてくれたことにとても感激した。
その後幾度となく面会を試みたが、当時メジャーで日本人が活躍している音楽家といえばクラシックでは小澤征爾、ジャズでは秋吉敏子であり、コンサートの終演後を狙っても、ほとんど必ず要人との接見/面会があるので、割り込んでいくことが出来なかった。
バークリー留学から帰ってきて、ぼちぼち仕事がこなせるようになりつつあった26,7歳の頃にルータバキン氏の極太のテナー・サウンドの秘密が知りたくてNYのトシコ=タバキン邸に半ば強引に乗り込んだが、レッスンということで敏子さんは顔を出さず、ルーさんの多彩かつ迫真のクリニックを受けた。
以後数年に一度の割合でルーさんには会っていたが、敏子さんに声をかけるのはずうっとためらっていた。
(もう自分はファンや生徒のような立場ではない…)
そして今日ついに共演を果たした。ソロなんかなくてもいい、
チームプレイだけで満足のつもりだったが、ルーさんの進言で(本来は)敏子さんのソロパートを貰うことができた。
本番中は締め上げられる様な緊張感のなかにも途中このコンサートの成功を確信して、まるで、かつて西武時代の清原が日本シリーズでの対巨人戦の勝ちを確信してボロボロ泣きながら守備位置についていた様にオレも涙ぐんだ。
楽屋で敏子さんは「だいろうさんはルーの誇り、と常々言っていますよ」
が〜ん、と感動し胸に響き続けて帰りの新幹線でレモンサワーと鰻弁当を食いながら涙が止まらなかった。
(他のメンバーと偶然席が離れていてよかった…)
またひとつ近藤和彦君やエリックや片岡ゆーぞー君や岡崎君達と印象的な仕事を共有することができた。
あんまり嬉しかったので彼らに本当はお土産用に買っておいた鰻の肝の佃煮をお裾分けした。
(タバキン氏と壮絶なテナーバトルを展開した小池君とは彼が車移動のため乾杯できず、残念。)
ヒック、ウイ。万歳。またひとつ夢が叶ったぞ。
ちっぽけながらも報われた人生♪
■ 2009/05/28 (Thu)  第一次試験

今日は穐吉敏子&ルー・タバキンOrch.のリハ日。は〜疲れた。5時間完全に集中し切った。かれこれ2〜3週間前からぼちぼちと曲メニューやら譜面、音源などが切れ切れに届いていたのであるが、楽譜が届く前から穐吉敏子さん関連のCDを買い込んで予習に余念がなかった。楽譜が届くようになると、今度は譜面の難しさに目が点になった。バリトンもまあかなり難しい譜面であるが、持ち替えのバスクラがかつて見たことのない位の超絶技巧だ。今日までの数週間、個人練習がまるで試験準備の様だった。音量バランス等も難しいので、自宅練習部屋で音源をフルボリュームにしてビッグバンド疑似体験のようにして練習してきた。その甲斐あってか、手足内臓震え上がりながらも、なんとかチームプレイに徹することが出来た。まるで第一次試験をなんとか通過した様な気分だ。もう一回現地浜松でちょこっと全体練習したあと、いよいよ本番となる。
穐吉さんのニューヨークのオリジナルメンバーによるリハは週に何日も半日リハを築いてきたという。今日リハしてみて、譜面の大変さもそうだが、穐吉さんの徹頭徹尾エネルギー溢れるコンダクティングを目の当たりにして、その位のことは当たり前だろうな、と痛感した。
オレはなんとユルい音楽生活を営んでいるのだろう。
ううむ。
■ 2009/05/18 (Mon)  和泉宏隆@STB

和泉さんのジャムナイト@六本木STBから帰ってきた。細かい個人的な反省点はあるものの、後味の良い結末で良かった、と僕は感じている。和泉さんはスクエアで成功し、ピアノトリオアルバムも順調にリリースして、その作風も一貫したものがあり、ライブをSTBを中心に全国規模で重ねてきたのだが、ピンクボンゴ(あるいは大路的に)と同じくChange!の時期に来た、と感じていた矢先の今回のプログラムなのだそうである。

彼はほとんどオレと同期でスクエアで活躍し始めた頃、こっちは一世を風靡した歌手マリーンのサポートを勤めており、(といっても彼は楽曲提供者で自分はただの兵隊だから自ずとインカムに大差がつくのは明らかだが)ほぼ同じ時代(例えばジャズフェス全盛時代)を生き抜いてきた。
とはいってもお互い微妙にフィールドも人脈も違う世界で働いてきたので、今回のコラボは正直楽しみでもあるが緊張もした。こんな年齢になってくると、今更新しい出会いというのは新鮮でもあるが、はっきり言って恐ろしくもあるのだ。若いときは日々の新しい出会いこそが自分の世界を形成&構築していくことになるのだが、こうしてとりあえず自分の世界を(ちっぽけながら)実現してくると、望むと望まないとに関わらず、いつのまにかなんとなく保守的になってくる。進取の気概が無いと朽ち果てていく、と分かっていながらも…。

そういう意味でも今回の邂逅は自分にとってとても有意義だった。チープな表現かもしれないが、フュージョンサウンドへの改めてのアプローチ、唄い方、ノリ、いろいろなものが再確認&再認識できてとても良かった。メンバーのみんなもベースの村上さん以外は初顔合わせなのでとても新鮮だった。村上さんにしてもエリック宮城EMバンドでほんの一部の側面しかお互いに見ていないので、今回いろいろな側面が垣間見えてとても楽しかった。

またいつの日か和泉さんの企画にノミネートされれば本望だなあ。
オレのオリジナル=Rendes-vousや二人ぼっちのコラージュやムーピーゲームも完璧に演奏してくれたのだ。
有り難う!テュリュッテュ♪二人でいつも♪

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